#19 🌍バックパッカーとして50日経過!
カレンダーを指で数えた。
日本を出発して50日が経っていた。
"海外に行きたい" 4月9日の熱量は50日経った今でも冷めることなく現在進行系で増すばかりだ。
バスは2回もぶっ壊れた。6時間の予定が12時間かかるなんて毎度の事だ。
市場には値段など存在しない。今では希望価格で買える交渉テクを手に入れた。
カンボジアでは詐欺を吹っかけられた。事前に調べて情報を得ていて見抜き事なきを得たがもし付いて行っていたらと思うとゾッとする。
当初はひとりで過ごす時間が長いだろうと予想していたが、この50日間を振り返れば誰かといる時間の方が長いような気がする。
正直俺は人と話すのは"得意"で特に歳上から可愛がって貰うのは得意だ。
何故なら10年間続けたサッカーで小1の頃から歳上の6年生と混じって活動していたからだ。
かといって人と話すのは"好き"ではなくて自己主張が必要な時か興味がある話題以外ベラベラ喋らないタイプだ。
だからひとり旅が楽しめるのかもしれない。
好きと得意は違うし 楽しいと楽も違う。
だがしかし
ゲストハウスやホステルで部屋に帰らず夜中までみんながいるロビーに居座る自分を振り返ると、もしかしたら俺は人と話すのが好きなのかも知れない?と最近思いつつある。笑
外国語で意思疎通できる事が純粋に楽しい説もあるけど
俺はこうだ!と決め付けず柔軟に変化していくのも良いんちゃうかな と。
多くの人と出会い時間を共にした。
本当に人と話し接する機会が多くて正直ビックリしている。
カンボジアのプノンペン からシェムリアップに向かうバスは2人席をひとりで座っていた。
そこにいきなりガイドのお兄さんが座ってきて自分の事や彼の事を話した。
バンコクでは現地で仲を深めた友達に観光案内をして貰いながら街を回った。
彼女は現在空港のタックスリファウンドの仕事をしていて目標はエアーアジアのCAになる事。
いつかまた機内で会おう そして日本を案内するよと誓った。正直彼女と離れるのは寂しかった。
アンコールワットは宿でツアーを組み、スイス人 オランダ人 台湾人と共に行動した。
世界遺産の景色を様々な国の人々とその感動を共有する感覚は素晴らしかった。
そして夜はパブストリートで50円のビールと5ドルのピザをたらふく食べたのは良い思い出だ。
宿のスタッフとSNSを交換しInstagramストーリーを投稿するとすぐさま反応してくれる。
そしてその事を宿に戻って話す。まさに現代型バックパッカー。そして次の国での写真にはいいね!を付けてくれる。繋がりを感じる
とにかく人と接する機会と方法は多様化していると感じる。デジタルネイティブの我々は使いこなせると信じている。
いかに現地に溶け込めるか?これは大きなテーマだ。
昨日行ったバーの前を通る。
"おお ユーキ今日はどこ行った?まあ座って飲みなよ"
顔と名前を覚えてもらってそんな声をかけてくれるとこの国で"居場所"が出来た気がして嬉しい。そしてこのような場所でするたわいも無い会話は一生記憶に残る。
アンコールワットでは遺跡入り口のチケットチェックの職員とカウンターの椅子に座って話した。
"日本は橋とかインフラ整備してくれるから助かっているよ"とローカルからそのような言葉を聞けて日本人として嬉しかった。
正直 観光名所を巡って写真をカシャカシャ撮ってレストランで食事してホテルで寝る
"観光客"になるのは簡単だ。
でも現地の生活を知ろうとローカルの公共交通機関で移動して屋台では汗かきながら飯食ってバーで安い酒飲みながら話して宿で話すのは"労力"が必要だ。
でもそれこそが旅の醍醐味
小手先ではない圧倒的な経験の旅がしたい。
毎度その国を発つのが寂しすぎる。
これは現地に溶け込もうとその土地の良いところを見つけようと必死こいてる証拠なのかもしれない。
今の自分は今しかないしこの場所も毎日毎秒少しずつ変わっていく事を理解しつつ "またいつでも戻ってくればいいよ" と自分で自分を励まし荷物をまとめる。
"楽しい"だけではない様々な感情が巡る日々
そしてその感情の振れ幅が大きければ大きいほど人間としての器は大きくなっていくのかもしれない。
今マレーシアに向かう寝台列車の中。
寂しさと希望を乗せた列車は定刻通り発車した。